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「やりました,やりました!」ではなくて,「できました,できました!」でした.
奥穂高岳南稜 8/14〜8/18
CL 楠堀,SL日南(安佐岳友会)

もともとの発端は,2013年8月に会の30周年記念行事の一環として,明神岳主稜と霞沢岳の八右衛門沢登攀という企画を実施した時に,八右衛門沢では大苦戦して,小梨平のキャンプ場にもどるまで17時間半もかかってしまったことだった.霞沢岳を1913年に初登攀した時にウエストンは3時間45分で登頂している(嘉門次は,当時霞沢と呼んでいて,そこから登攀したことになっている).その早さに驚いてしまって,ウエストンの足跡をたどっている『山の手帳』(http://hwm6.wh.qit.ne.jp/shimaneco/)を読み進むうちに,「ああ,いいテーマだなぁ」と強く思うようになっていった.そこで知ったのが,奥穂高岳南稜だった.奥穂高へのダイレクト初登ルート,実にすばらしい,憧れは強まっていくばかりだった.当時ウエストン50才,嘉門次64才,1912年8月のことで,その直前には槍ヶ岳北東面新ルートからの登頂にも成功している.平均年齢は,公衆衛生や乳幼児死亡率に大きく左右されるので何とも言えないし,昔から日本でも有名人では長生きしている人たちも多かったが,当時の日本人の平均寿命は40代前半なので,やはり嘉門次はすばらしい案内人だったのだと改めて思う.

この1年以上体調不良をかなり自覚し,満足のいく山行などほとんどできていない中,6月にものすごく調子の悪い日が続き,結果的に7月になってから根本的な原因が分かったものの,対処には時間がかかることも分かった.辞めるべきかとも思ったが,医者は「いいことですね,私にはとてもできないですよ.」と後押ししてくれた.

この半年以上のテーマは「稜」だった.細い雪稜を歩く登山者なんかの写真を見るとキューンとする.稜も色々あるけれど,奥穂高岳南稜,いい名前だなあと思う.

8/14
早朝3時過ぎに家を出て日南さんを迎えに行く.2人での長距離ドライブなので,この日は小梨平までとする.途中話し込んでいるうちに,あれぇー,東海北陸道の分岐を過ぎてしまった.仕方なしに松本から入ることにするが,結果的に時間は短くすんだようだった.

盛況だった上高地


小梨平のキャンプ場で手続きして,ビールを早速飲んで落ち着いたぁと思っていると,キャンプ場のお姉さんがやって来て「ここはダメですよ.移動してください.もう呑んじゃっているけど.」と言われてガーン!幸いに40m離れたところで一箇所空いていたので,周囲の人に断って移動する.ここでBBQしているおじさんが,自分が東京時代に住んでいたところのすぐ近くの人だったこともあって,盛り上がりすぎてしまったのは失敗だった.実際に失敗したのは,夜にシュラフカバーで十分かと思っていたら,予想以上に寒くて,風邪気味になってしまったことだったようだ.しかも夜中に「おかしい,おかしい」とか何とか叫びながら日南さんの足を揺すったらしいが覚えていない・・・.

8/15
この日は岳沢に行って偵察するだけなので,特に急ぐことはない.

渋滞する河童橋


岳沢への途中,微妙なバランスで岩に立つロック・クライマー?


2年ぶりの天然アイスクーラー7番看板,明神岳への入り口.懐かしさがこみ上げてくる.


風穴天然クーラー.ご家族が休憩していました.


ようやく岳沢が見えてきた.


小梨平を出発して2時間も経つ頃には,異常なほど汗をかくようになった.夕べのアルコールが抜けていいんじゃないかとかいわれそうな状況だが,実際ににはそうではなくて熱中症の初期みたいなものだ.日南さんはかなり余裕で速く行ってビール飲みたいらしいが,すみません,できません,ゆっくりです.岳沢小屋まで5分というところでついに足がつる.水を飲んで休憩して,何とか3時間で小屋に着く.予定はもっとゆっくり組んであったので3時間ならよしとしたいところだが,日南さんはもっと早い方がいいようだった・・・.

2年前に比べるとテントが圧倒的に少ない.河原にはテント禁止となっているけれど,数組が張っている.あとから来た親子や若者は,河原のすぐ降りたところに張って,落石が危ない.

とりあえず偵察に行くことにする.念のため,ハーネス,ロープ,ガチャ類も持って行くことにする.

雪渓末端は大きく割れている.


雪渓をあがっていく.右側の雪渓を進む.


雪渓末端部


下降地点


下降地点目印が既におかれていた.


巨大なシュルンド


明日登るルートは,右方向のルンゼだ.


小屋に戻ることにする.


飲み過ぎないようにというメール忠告がたくさん来たので,日南さんには申し訳ないけれども少しだけにして,翌日に備えた.雪渓をあがると心拍数が140を超えた.高いのが気になる.

小屋に戻って座りながら周囲を見回す.涸沢と違って,山の威圧感がものすごい,そんな話を日南さんとしながらリラックスして過ごす.


夕食を食べ終えても心拍数は100程度だった.順応できていないようだったが,ポカリスエットを1.5リットル飲んで就寝した.どこかで体が渇きを覚えているような気がしたからだ.

8/16
2時45分起床した.心拍数を図ってみると,76だった.ほぼ正常値に戻って安堵する.4時過ぎにテントを出た.登山道を少しあがってから,河原に降り,雪渓末端部に取りつく.雪が締まって固い.


下降地点を降りるが,ツァッケを蹴り込まないと・・・.


シュルンドが大きく口を開けている,ものを落としたら回収は諦めるしかないな.


最初の岩稜帯


特徴的な柱状節理




第一の関門.この最奥の部分をあがっていく.


3級程度だが,ややハングしていて体にあたり気味になってステップにあがることができない.左足をフラットに置けなくて,怖さを感じる.「フラットに置くんだ」と日南さんに言われても,こればかりは足首固いので勘弁してください.
いったん降りると同時に,自分の中では重大な変革が求められていることが頭の中を占める.上部にある3つの岩稜帯をトリコニーと呼ぶが,そこにたどり着くまでの下部がそこそこ難しいということは分かっていたが,自分が想像していた以上に難しいことを理解した.計画を立てて,それを変更すること自体は山に登るようになってからかなりできる様になったが,依然として自分の中のイメージを変えるには時間を要する.自分がリードならクライミングシューズが必要なんだ,それくらいのルートなのだと.それが原因で失敗を犯す.
右手を見るとハーケンにスリングがかかっていて,リスが走っているからそこからの方が登りやすそうに見える.日南さんがロープを出そうということで,ここは日南さんがリードで登って行くが,本人も結構微妙だという.結局記憶も曖昧になって,登ったところで日南さんから「カラビナ」といわれて,回収してこなかったことに気がつく.カラビナも残置してあったものと思い込んでしまっていた・・・.

最初のロープ


振り返れば絶景かな.


その後は沢地形を登って行く.濡れていたらやっかいと評されているところだ.




いわゆる三股に出た.左側の岸壁付近を目指すため,一旦左側の小尾根に乗ることにする.


登ってみると藪地帯.


藪を抜けると上部岸壁基部に着く.右手側にトラバース気味に進む.


所々に踏み跡がはっきりしている.


乗鞍岳方面


焼岳


霞沢岳


岳沢


上部岸壁を右から巻くが,先が分からないのでロープを出す.が,日南さんのスピードに追いついていけない.とにかく行動が速い・・・.


上部岸壁帯を抜けると,いよいよトリコニーが近づいてきた.


トリコニーとは,もともと鋲靴の鋲のことのようだ.昔はビブラムなどなかったので,鋲を打って登っていたのだが,その中に「トリコニー」と呼ばれるものがあったのだ.

つかの間のお花畑


1峰への取り付き.このクラックを登って行く.


1峰の特徴的な先鋒.下部に行くと,頭に覆い被さってくるように見える.


1峰のルンゼ?このルンゼを登って左から行く人も行くらしい.ルンゼ前でしばし休憩する.この当たりまで来ると,紀美子平がよく見え,一般縦走路からの人の声すら聞こえてくる.


さてルンゼは奥に入ると右に90度曲がっていて,そのまま超えていくことができる.


超えた先は高度感はあるものの,チョックストーンの下でも上でも進むことができる.


日南さんに声を掛けて進んでもらう.ルンゼ内を90度曲がってやって来る日南さん.


1峰上部にて




1峰全景


2峰へ


1峰からは高度感はあるものの,岩稜歩きを楽しめるようになってきた.休憩していても「すごいなあ」としか言葉が出てこない.いい天候に恵まれて良かった.


2峰の核心部,懸垂下降地点.上下に二本ハーケンが打ってあった.古いので気をつけた方がいいということだったが,予想以上にしっかりしているように見えたが・・・.新しいスリング3本に,これまた新しいカラビナ2つが残されていた.


が,自分が懸垂下降をはじめてしばらくすると,「おい,ハーケンぐらぐら動くぞ.」と日南さんから声がかかる.2m程は足場もないような感じなので,何とか降りて,その後はほぼクライムダウンで降りる.やはりこういうルートではハーケンの類は持っていった方がいいなと.結局テントにおいてきてしまったので,安全確保という意味では持ってくるべきだった.


これで岩稜帯は終了だ.雷鳥の親子だろう,4羽いた.日南さんが雷鳥の鳴き声をまねしながら進む.


前半の登攀系の要素が強かったこともあって,脚にはかなりきた.最後は日南さんスピードあげていったが,自分は南稜の頭目指して一歩ずつ登って行く.そして日南さんから「あと少しだぞー」と声がかかる.20m程平らな部分を進むと頭の標識についた.6時間50分だった.




奥穂高岳南稜初登の際に,嘉門次が頂上付近で「やりました やりました」といったはずだったので,南稜の頭についたらそう言おうと思っていて「やりました やりました」と叫んでみた.山岳警備隊の人もその話をしたのですが,「いあや,ちょっと訊いてみます.」と誰も知らないみたいだった.メール打ってみても,日南さんに話しても「意味が分かるようで分からない」ということだった.ところが帰ってきちんと調べてみると嘉門次が言ったのは「できました,できました!」となっていたではないか!!

奥穂高岳山頂にて




吊尾根.ここもはじめて歩く.確かに長い.


積雪期は相当に厳しいことが分かる.


紀美子平


そして,ちょうど12時間でキャンプまで戻ってきた.虫の大群に囲まれながらの重太郎新道でした.


この日は少し多めに飲みましたよ.


8/17
夜半からの雨がかなり降り,何となくもの悲しい下山になった.10年以上前に買ったテントのフライが全くダメで,テント内が浸水してしまった.


この日は無理せず滋賀県泊まりにして,翌8/18に帰ってきました.

やはりバリエーションルートはどこも厳しいなあと改めて思いました.今回も落石の可能性が高かったし,ルートミスすると体力消耗しただろうし,ハマったら本当に大変だろうと.その後,予想通り右膝にはかなりの痛みが出ました.右膝がどこまでつきあってくれるのか分からないけれど,また登ってみたい自分を強く感じながら下山している自分がいました.
ありがとう日南さん,ありがとう奥穂高岳南稜.

参考文献
ウエストン:『日本アルプス再訪』.1996,平凡社,東京
大鋸:「健康を考える」.『健康論』,道和書院,2005
ウィキペディア「靴鋲」.
日本登山大系『槍ヶ岳・穂高岳』.1980,白水社,東京






 
posted by: kussan | アルパイン | 23:27 | comments(0) | - |-